里子に出していた猫の三号が、我が家に帰ってきました。
三号の尻尾は鍵型に曲がっていて、一説には「幸運を引っかける尻尾と言われているそうです。
そして三号は、その鍵型の尻尾に、僕のお嫁さんを引っかけて、帰ってきて来てくれました(w
「世の中に偶然という物はなく、全ては必然である」
と、誰かが言っていましたが、そうとしか考えられない成り行きでした。
もしあの時、病気になった野良猫の二号を病院に連れて行かなかったら、僕は猫を飼う事は無かったかもしれません。
また、もし木に登ったまま降りられなくなってる二号を、緊急レスキュー隊まで呼んで救出しなかったら・・・
一号が結膜炎にならなかったら・・・
いとうまりこさんが、三号を里子に欲しいと言ってくれなかったら・・
色んな「偶然に見える必然」の複雑な糸が絡み合って、今のこの人生と生活があるのだと、つくづく思います。
とにもかくにも、三号は、僕のお嫁さんと一緒に僕の部屋へ帰って来てくれました。
三号が前に僕に餌を貰っていたマンションとは違う部屋ですが、これでキジトラ三兄弟の、一号、二号、三号、そして白黒ブチの四号と、あの頃のメンバーが全員揃ったわけです。
人の縁が猫を結びつけたのか、はたまた猫の縁が人を結びつけたのか・・
縁というのは本当に不思議なものですね。
さて、帰ってきた三号ですが・・・
簡単に他の猫達と「感動の再会」というわけにはいきません
犬は三日餌を貰った恩は、一生忘れないとよく言いますが
猫は忘れます!!
本当に忘れます・・
呆れるほど・・
あんなに世話をして、苦労していとうまりこさんのところに里子に出したのに・・
その後、病気で腰が立たなくなった三号を、病院に連れて行ったり薬を飲ませたりと看病したのに、
三ヶ月後にいとうさんの部屋に顔を出したら、すっかり僕の事を忘れていました(w
猫ってそういうものなんですね(w
新しい環境に適合する能力が高い替わりに、前の環境の事はすっかり忘れるみたいです。
そのことはあらかじめ解っていたので、三号は全く新しい新入りとして扱う事にしました。
しかし、元々は一号、二号、四号と、同じ縁の下の穴蔵で、兄弟として暮らしてきた三号です。
幼い頃に兄弟猫と暮らした猫は、猫としての社会性が身につくと言われていて、実際三号は、母親の七号や、七号の子猫達と暮らしていた時もありました。
いとうさんと一年半以上、二人っきりで暮らしたとはいえ、幼い頃に身につけた猫としての社会性は残っているはずです。
元々兄弟だし、うち解けるまでにそんなに時間はかからないだろうと思っていました。
しかし、僕はこの時、三号の喧嘩っ早さを忘れていたか、甘く見ていたのでした・・・・・・
つづく・・・
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